『老い』は視力の低下から

2022.5.1

『老い』は視力の低下から

今この記事を読んでくださっているあなたは、
おいくつぐらいの方でしょうか?


嫌な表現になってしまいますが、
初めに年齢を感じた出来事はどんなことでしたか??


「まぁ、これは人間として仕方がないことであって『老い』とは言わないでしょ?
っていう油断や妥協が、結果的に「老い」を招く可能性がありますよねってお話です。


僕は視力は良くて両目2.0でした。

それが高校受験あたりから悪くなり、授業中はメガネをかけるように。
大学から常時コンタクトになりました。


ちょっと目を使いすぎたかな?
でもこれは勉強の為なんだから仕方がないよねって思ってました。


仕事柄か、時代のせいか、
年々、少しずつ視力は落ちていって眼科に行く度にメガネの度数が変わりました。


まぁ、仕方がないですよね??
1日何時間スマホ見てるかわかりませんから。


最近また、視力の低下が気になって眼科に行きました。

いつものように視力検査をしてもらい、コンタクトを調整。

度数を上げてもらえば済むことだと思ってました。。


しかしその考えは甘かったようで、「老眼」となれば筋力の低下みたいなもの。

見えにくくなった『近く』を見えやすくしようとすれば、その分『遠く』は見えない調整を行う。

逆に、『遠く』を見たければ『近く』は諦めなければならない。


なるほど。。
みんなそうなのであれば仕方がないことか、、、と。



新しいコンタクトの度数が生活に合っているかを試すため、しばらく普段よりも注意深く生活しました。


あれこれと試しているうちに新しいことに気がついたのです。


コンタクトをつけたままで風呂に入ると、なんとまぁ、湯舟や天井が思っていたよりも汚いではありませんか(笑)


何より驚いたのは、鏡に映る自分の姿が思っていたよりも、、、。


体型、筋肉、肌、体毛、、、


そう言えば風呂場なんていつも湯気の影響もあってボヤけた状態。

思っていた自分の姿と、今の本当の自分の姿にギャップができてしまっていたのです(笑)


さらに言うと、風呂の時間こそ1日の中で一番自分の体をチェックできるチャンス。


その機会をボヤけた状態で過ごしてきてしまったのです。


さて、原因はどこにあったでしょう?

初めに遡ります。

視力が下がったという問題に対して、

勉強のため、生活のため「仕方がない」と考えたことではないでしょうか?


もし生まれつき視力が低く、弱点と認識していれば「仕方がない」ではなく「どうやって克服するか」を考えたのかもしれません。


視力を回復する方法もあったことでしょう。


何十年も経ってようやくその事に気づきました。


日々淡々と、抜かりなくこなしているつもりでも盲点はあるものだと。
さらにその小さな盲点が、ずっと先で多岐にわたる問題を引き起こす。


これは『老い』だから仕方がないのではなく、

視力を回復する方法を模索するか、はたまたお風呂にもコンタクトつけたまま入るか(笑)



仕方がないと諦める事こそが『老い』の始まりであり、理想の自分を創る為には、小さな油断や妥協を見つける『視力』が必要不可欠なのかもしれませんね☆